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zoom RSS 水に祈る

<<   作成日時 : 2013/04/14 07:44   >>

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ここ東京ではめっきり春めいて生き物たちの活動が目立ってきて、1年の始まりを感じる。
年の始まりは正月だが、私はいつの年も春分を始まりと思うことにしている。つまり、春分の前日を年の終わりとし、若い頃は豆まきをやった。が、ちかごろはやらない家庭も多くなくなって、私もとっくの昔にやめた。

でも、やらなくなった本当のワケは別にある。

「福は内、鬼は外」・・・福というのは、幸福という明るさを意味し、鬼は不幸という暗黒のことだと思う。

まず福は内と叫ぶのには、なんとしても福を呼び込みたいという想いが伺える。

幸運に恵まれたいという切実な願いというのは、豆をまく、それだけで叶うものではないことはわかっている。だけど、そうせざるを得ない。

やらなければ、不幸になるかもしれないというい思いが強く働く。

昔のある時代に植え付けられたこのトラウマが、今なお人々の心を虜にして公共の場のイベントとして人気だ。いったい、いつからそんな風習が始まったのだろう。

節分とは、読んで字のごとく節を分けるという意味であり、立春の前日だけでなく立夏、立秋、立冬の前日もそれぞれ節分であろう。つまり、一年に4回節分がある。

それなのに、なぜ、いつから、立春の前日だけを節分として、
しかも暗い過去と決別できるかのような錯覚を人々に植え付けたのか。

もうそんなトラウマから決別したい。生き物の世界をくまなく支配する水に思いを寄せたい。

自分の運は、生まれ持った特性を活かすことでつかめるものだと思う。

生まれ持った特性は、生まれたときの太陽の位置など天体の状況で決まるというのは本当かもしれない。

そういう意味では、節分も太陽の位置で決まる。しかし勘違いしてならないのは、

「節分」が季節という自然界の移り変わりを表わしているのに対し、
「人間の運」は自然界の波にいかにうまく乗れるかということで、その指標として個人の特性が存在するのだろう。

季節の波と自分の特性を混同してしまっては、幸運なんてほど遠いものになることだってあり得よう。

私は、自分や家族の特性を調べて、それぞれの波がうまく進むようにできるだけの努力している。

その上で、生命の根源である「水」に感謝する。

そして誓う努力をする。

家族を幸運に導く努力することを、「水」に誓うようにしている。

自分の思いが叶うよう努力することを、「水」に誓う。

仏間の「お水」に誓う。仏間のお花の「水気」に誓う。切り花から立ち上る水蒸気に誓う。

トイレやお風呂でも、水のあるところでは感謝し、運を呼び寄せる努力を誓う、誓う努力をする。

こうやって、運を呼び寄せるのは自分の責任であるという認識が生まれた。
とは言っても、昔からのトラウマを断ち切れない部分も多々あるのも事実だが。

以上、私の精神生活をい書いてみた。


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