Eiji-History

アクセスカウンタ

zoom RSS 三条長尾家が中沢家に

<<   作成日時 : 2017/02/01 18:10   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

本成寺の鬼踊り
節分になぜ豆をまくのでしょうか。「魔を滅する」という説があります。
「マをメっする」。なるほど。
豆まきで有名なのが本成寺の鬼踊りです。新潟県三条市にある本成寺の鬼踊りは赤・青・黄・緑・黒の鬼たちが大暴れする、全国でも珍しい豆まき行事だが、今の形になったのが昭和28年ころからだという。

ネットで「本成寺の鬼踊り」を調べると、室町時代に本成寺の僧兵と農民が力を合わせて盗賊を追い払ったという古事にならって、節分の豆まき行事として続けられているという。
ただ、「盗賊を追い払った」の部分を「戦乱を鎮圧した」とする記事もあり、こちらの方が正しいと思う。

本成寺と言えば、越後の守護代「三条長尾家」と関わりがあるお寺です。
昔、三条長尾家が長きにわたって守護代を続けられたのは、三条長尾家に刃向かう諸々の勢力を排除するために尽力したのが、本成寺が派遣した僧兵でした。
この史実を伝承しているのが本成寺の豆まきです。
本成寺では長尾家に対抗した勢力を「鬼」として豆まきの形で伝承されたのです。

三条長尾家のルーツは桓武天皇の五男葛原親王とされ、その末裔が今も存在する。長尾ではなく中沢となっているが。
その記録が本成寺にあり、それをまとめたものが私の実家にあります。ちょっとだけ列挙してみましょう。

高見王・平高望・良兼・公雅・致頼・致経・忠通
影成・景政・影経・影忠
長尾景弘・長尾定景・長尾胤景
長尾為景(長男に定景)(三男に長尾景虎=謙信入道)
長尾定景(晴景)(家督を継いだ景虎が上杉なり、三条長尾家が消滅)
中沢初代・長尾賢昌(長尾左衛門尉賢昌)
中沢二代・長尾角左衛門昌朋(天文16年加賀国より越後長岡在に居宅し中沢と改める)
  天正19年2月8日 遠壽院殿深心日修居士

      **途中省略**

中沢十五代・鶴居(たずいまさひろ)
*慶応二年11月15日 夜火災を罹災
往昔より当家に伝わる長久山曼荼羅お歴代ならびに京都本禅寺の日求聖人、越中本法寺の日相聖人など御認めの曼荼羅併せて八十余軸を消失。

この火災により、当家の歴史を示すすべてが消えてしまったようです。 

長尾から中沢に変更され、さらにこの火災。これでは三条長家が歴史から消えるのは当然かもしれません。

*明治3年大河津掘り割り御用係仰せつかり苗字帯刀が許される
*明治5年 五十嵐川の築堤に関して
松尾与十郎の築堤が必要という考えを支持し最後まで後押しした。
とくに、県令の平松時厚と大参事の南部信近らがこの地を訪れたときの堤防建設を訴える二人の連携はみごとであったという。
築堤に関して、村々の協力を呼びかけることに奔走したり、工事中にも問題が起きると松尾を助けて解決に当たったりした。
与十郎は天保11年生まれで、鶴居のほうが二歳年下だったが村々をまとめる小区長という立場であり、鶴居の後押しが築堤の成功を導いたと言える。
*明治7年等外三等格お書き付け受ける
*明治8年地租改正検査顧問拝命
*明治10年準等官十七等お書き付け受ける
*明治12年準等外四級
*明治20年9月27日 52歳 本行院常身日得

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
三条長尾家が中沢家に Eiji-History/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる